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《店長プロフ》
こんにちは!わたしが店長の椎野啓三です!
本名:椎野啓三(しいのけいぞう)      
生年月日:1970年生まれ       
ニックネーム:ジャック(顔がソラマメ!?→豆の木→そいでジャック^^;)       
好きな食べ物:ナッツ類(特にマカダミアナッツ)
好きな映画:「ショーシャンクの空に」モーガンフリーマンのナレーションにシビれる
趣味:水泳、読書、自転車、散歩(世界中を旅してみたいけど、近所の花壇に知らない花やつぼみを見つけたときが幸せ)
好きな言葉:I'm OK!  You're OK!
わたしも靴選びを間違えた一人でした・・・。
22歳より趣味で始めたトライアスロンで足・膝を痛めた時、その原因の一つが「靴」だったことに気づき、靴の大切さを初めて実感。 よい靴をと意識はしても何が基準になるのかわからないまま過ごしていた時、ドイツの整形外科靴技術とそのマイスターの存在を知り足と靴に関するこれまでの認識が覆されました。 その後、日本で定期的にセミナーを開講していたドイツ人の整形外科靴マイスター「カール-ハインツ ショット氏」のセミナーをすぐに受講。 彼の知識の深さと高度な技術、そして人柄に惹かれ師事し足と靴の科学研究所(名古屋市)で靴職人として働き実践を積んできました。 2003年7月、神戸で独立開業し現在でも定期的に国内外での研修を続けています。 最初は私も靴選びを間違い痛い経験をした一人。 だからこそ皆さんのお役に立てると思っています。



家業のくるま屋さんを辞め、現在の「足と靴」の仕事にのめりこみ、まさに足を突っ込んでしまった(笑)そのわけは・・・
《幼少期・学生時代》
滋賀県甲賀市 水口中央病院にて生まれる。父の代から創業した車屋さん「椎野商会」(映画 ALWAYS三丁目の夕日の「鈴木オート」のようなイメージ)は、父や母が朝早くから夜遅くまで本当によく働いて少しずつ事業を拡大していました。男3人兄弟の末っ子、いたずら好きで甘えん坊。兄たちにいじめられるとすぐ母親や祖父母に泣きついていたような記憶があります(笑)。小さい頃の遊び場は、店の裏のスクラップ置き場。ガラクタを集めて秘密基地を作り、見つかっては怒られ「元に戻しなさい!」ってな具合。(ガッカリ>_<) 
好奇心旺盛(豆の木のジャックのような)だけど飽きっぽい性格であまり長続きしない。 採ってきた昆虫や動物たちは結局母親が世話していました…。 小さい頃から走ったり人前でお遊戯や歌うことは好きでした。 反面、本を読むこと、宿題、人との言い争いが苦手、学校の成績もいまいち(苦笑)、 体育と算数だけは得意。 兄がやっていたこともあり、小学4年生からサッカー少年団に入団。 中学、高校そして社会人になってもサッカーが好きで続けていました。 僕が入団したチームはどの年代でも強かったので全国大会によく出場していましたが、僕はメガホンを持って友達とスタンドから応援してることが多かったです…。はははっ(^^;)   
《マラソンとの出会い》
社会人になってからは友人の影響でマラソンを始めました。 今までのチームプレーとは違い自分自身との戦い。 走るごとに「いつかフルマラソンを完走してみたい!」という思いが募りました。サッカーシューズの感覚に足が慣れていたせいで、マラソンシューズも足にピタッとフィットするものをいつも選んでいました。 でも練習や大会のたびに爪が割れ、内出血。 マラソン完走の道は辛く険しく遠いものと思っていました。ある日、マラソン仲間たちと練習後雑談する中で、「ケイゾーの履いてる靴って小さすぎるんとちゃうか!?」と言われました。 「そうかな?こんなもんやろ」っと僕。 でも友人は続けて「小さいから爪が割れたりするねん!」 そこで思い切って今までよりもふたサイズ大きいシューズを履いてみました。
そしたらなんと快適なこと!楽なこと! いつもの20kmの練習コースが半分くらいに感じられる。 いつもマラソン大会の最後数キロは足を引きずって歩いていたのに、靴のサイズを見直しただけで最後まで快適に走れるようになりました。 このとき初めて靴の大切さを身を持って実感。 靴が変わるだけで走るフォームも変わる。 膝、腰、足裏のいつもの痛みは軽減されていることにも気づきました。 足が楽になるとマラソン大会やトライアスロンのレースへの参加がグンと増え、そのたびにたくさんの人と知り合い話をするようになりレースでの様々な工夫の仕方を聞くことが楽しみになりました。でも、その時、僕と同じように靴や足の悩んでいる人が多いことにも気づきました。 いつしか、足と靴にかかわるような仕事がしたい、誰かの役に立ちたいと漠然と思うようになっていました。
とは言うものの、何をどのように勉強すればいいのか分からないまま過ごしていた時、ある新聞に「足と靴の専門家、整形靴マイスター」という記事が目に入りました。瞬間的に「これだ!」と思いました。そして、すぐに名古屋の「足と靴の科学研究所」に電話し、清水昌一所長のセミナーを受講しました。そのセミナーでは、これまでの足や靴選びに対する考え方がおもいっきり覆されました。足の構造もさることながら靴の履き方、ひもの結び方、選び方などなどこれまで全く知らずにしてきたことがいかに違っていたか…感心することばかりでした。セミナーで学んだフットプリントの採り方をまず身近な母親や兄弟の足で練習しました。家族であっても足の形って様々。やっていくうちに「おもしろい!」もっともっと知りたくなってきました。でも、解剖学や靴の専門知識など全く無いまま練習を続けていると今度は人の足をみるたびに「なぜ?」という疑問ばかりが増えてしまいました。
《整形靴マイスター「カール-ハインツ ショット氏との出会い》
「もっと足や靴のこと知りたい!」 清水所長の下、開校されていた「フットアンドシューアカデミー」では本場ドイツの整形靴マイスター(OSM)から直接学べると聞き、即、入校。 4期生として学び始めました。 ドキドキでした。  
その時の講師が カール-ハインツ ショット氏 です。
講義でのカールさんの初めての言葉・・・
The more you know, the more you know you don't know.
(より知れば知るほど、その先にもっと多くの知ることがある)
セミナーを通じてカールさんの知識と技術、そして人懐っこい性格に惹かれていきました。彼にどのような質問をしても、いつも明確な答えが返ってきました。日頃から自分の考えを整理し「分かりやすく、伝える」という努力を惜しみませんでした。その頃のノートを見返してみると、今でもたくさん気付きがある…っと思ったら途中で字が消えている。あれっ?ヨダレの痕が。彼の元で講義を受けた数年間で学んだことはたくさんありますが、みんなで昼食をとった後に「よく散歩」をしていたことが印象的です。ドイツ人だけではないと思いますが彼らといると、「散歩に行こう♪」といってよく出かけます。
ちょっとそこまでかと思いきや、午前中とか1日歩くこともあったり。ゆっくりのペースで話をしながらとにかくひたすら歩く(笑)。これが文化の違いなのか。彼、カールさんから教わった1番大切なこと。それは…
《自分で考えろ!》
ということ。これが身に付いてないときは丸投げの質問ばかりしていました。 自分で調べ勉強して、体験などから自分なりの答えを出す。 日々の実践や経験を積む中で「自分はこう思うんだけど、カールさんはどう?」というと「良い質問だね」という答えが返ってきた。 …あの~それで…あっ!そうね。また調べてみま~す。^^;今ようやくこのことが分かり始め、やっとスタートラインに立てたような気がします(笑) 
《ぼくの使命》
ドイツ整形靴技術を学びお客様とともに靴の価値観、文化を向上させること。足や靴の様々な悩みに可能な限り応え、技術と知識、そして教育的な面からもサポート。そして次の世代に文化や習慣として伝え、この仕事を確立していくことだと思っています。例えば、ヨーロッパの先進国では、こどもは幼稚園を卒業する頃には靴の紐を自分できちんと結ぶことができます。日本でも今のような履物がなかった頃、昔は着物や草鞋(わらじ)など身に着けるものは紐や帯など結ぶ事を習慣としてやってきました。
身に着けるものの中で特に「靴」はその「人」自身を表すと思います。見た目やデザインだけでなく大切なことは足を保護し安全な歩行や走行を助けるということ。
現代の便利になりすぎた生活環境の中で「歩く」という人間の基本動作が忘れ去られてはいけません。「歩くことが出来る歓び、歩く愉しみ」を皆様と分かち合えたらという想いでいっぱいです。
《プラウド(誇り)》
この仕事は、あなたの『足』を拝見できる!(笑)。『足』が大好きな僕がこの仕事に就けたことに心から喜びを感じます。僕の言う『足』とは、足の形や皮膚の状態、カカトの向きや足趾、爪の生え方から歩き方まで…一人ひとり違っていて、その人の土台となって立ち支え、そして運んでくれるという意味の『足』。
初めは「足に自信ない~」とか「人に足を見られるのって恥ずかしい!」「歩くのは大嫌い」って言っておられた方が「この前、○○へ旅行に行ってきたよ~!」と行動的に変身されたり、町で元気に颯爽と歩いておられるお姿を見かけるともう嬉しくって後ろからハグしたくなります…これじゃストーカーですよね(笑)、やめときますm_ _m
    店の名前もまだ決まっていない頃、シドニーのカールさんの工房に見学と勉強を兼ねて2週間ほど滞在したことがありました。そこでカールさんの仕事のパートナーであるアンドレアスさんに初めて会いました。工房での整形靴や足底板の製作はほとんど彼がしていました。アンドレアスさんの作業台に光沢のあるブロンズのプレートで小さく刻印されていた言葉    
「Proudly made in Australia ANDREW W, OSM」  
そこから店の名前『プラウド』をいただいたのです。
この人がアンドレアスさん アンドレアスさんは、レトロなミシンが好き!
僕「なんで これにしたん?」
アンドレアスさん「安かったし自分で直せるから」
《ぼくの師匠:カールさんの教え》
ひいおじいちゃんの代から整形外科靴マイスター(OSM)という家柄で4代目OSMのカール-ハインツ ショット氏。
彼から学んだことはたくさんありますがその中心は、OSMの4つの柱「技術」「知識」「経営」「教育」。
靴を作ることや足をみるというテクニック、そしてそれを理解・判断する様々な分野の知識、起業に必要なビジネスセンス、そして、次の世代へと受け継ぐための教育。
どのマイスターも教えるのがうまいっ!…当り前か(笑)
マイスター制度の歴史から見ても実にうまくできていますし、カールさんはこの4つの柱のバランスがとても大事!と教えてくれました。   日本には「整形靴マイスター」の国家資格や教育制度がまだきちんと整っていないのが現状です。ドイツを始めヨーロッパの各国と比べると靴の歴史や文化に大きな違いがあるものの国内にも優秀なドクターや治療家、技術者や義肢会社、靴店はたくさんあります。僕自身も日々勉強し、少しでもOSMに近づく努力をしていきたいと思います。どれだけ年数がかかるか分かりませんがこれからも国内外での動きに目を向け技術や知識の向上に努めたいと思います。 …つづく